過去の嫌な・辛い記憶と決別するために

病気

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うつ病になってできなくなったこと〜最近作ったスコーンを添えて〜
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こんにちは🐣

急に冷え込んできましたね…これはそろそろ冬物コートの準備をしなければ🧥

さて、今回は前回のブログの半分続きのように頭の中を整理していきたいと思い、記事を書いています。

今回は、わたしの嫌だった・辛かった記憶をテーマに整理していこうと思います。

わたしは鬱症状が辛いとき、頭の中が「過去の負」に関する思いでいっぱいになって、混乱して涙が止まらなくなる…という状態になるのですが、以前カウンセリングで心理士さんにそのことを伝えたところ、

「過去の記憶と決別できないのかな。嫌だったこと、感情を押し込めてしまっていたのかな。」

と言われました。

確かにその自覚は実はあって、わたしは昔から嫌なことや辛いことがあると、立ち直るのに時間がかかってしまい、その間学校へ行くことや仕事に支障が出てしまいそうと不安に思い、無理やり忘れようとして実際には忘れられていないのに、心はまだ傷ついているのに「忘れたフリ」をして生きてきました。

また、嫌な思いをしている自分がすごく惨めに思えて「辛いもの」を「辛い」と受け止めてしまうと、それを事実として認めてしまう気がして、「わたしは辛くない。そんなわけがない」とずっと心を押し殺して生きてきた気がします。

そんな記憶が、心身共に元気が無くなってしまった今、脳みそが思い返そうとしているのかもしれない

と思います。

この記憶をグルグル思い出してしまう行為は自分の意思では止めることができず、辛い時間になってしまうので、「このグルグル考えることを辞めたいです」と心理士さんに相談すると、

「過去の記憶を1度受け止めてあげると良いんじゃないかな。1度受け止めて、もう思い出さない!って決めると、きちんと思いが消化されたりしないかな。方法は人によってそれぞれだけど、日記に書くとか…。あとは例えばポップコーンを作る人とかもいるんですよ。ポップコーンのコーンを自分の嫌な辛い記憶だったと当てはめて、温めてパーンって弾け飛んだら”消化されたことにする“って決める人とか。その方法がゆーきさんに合うかは分からないんだけど…もしよかったら考えてみてくださいね」

と言われて、なるほどと思いました。

そこでわたしは、1度文章に書き込むことで消化されるのではと考え、今回ブログに残すことにしました。

ですので今回のブログの内容は、治療が前向きに進むために、わたしが過去に嫌だった・辛かったと感じた内容を書いていきます。

しかし、内容自体はあまり明るいものでは無く、読む方によっては辛く感じてしまう方もいらっしゃるかもしれません。その時は読むことを辞めてくださいね。

どうかお読みくださる皆さんの心を大切にして、お付き合いいただけたらと思います。

箇条書きで収めていこうと思います。

幼少期-就学前(〜6歳頃)

・母が仕事から帰る度、「お部屋片付けたの?」「早く寝なさい」と常に怒られていた。

・自分の分のお菓子を食べようとしたら「お姉ちゃんのくせに弟にわけてあげなさいよ。あんたは優しくない」と祖母に言われた。

・怒られて泣くと「泣いてどうにかなるの?泣いたら物事解決するの?」と母に言われた。

・幼稚園で女の子に「ゆーきちゃんはなんでマイメロのお弁当箱じゃなくてキティちゃんのお弁当箱なの?可愛くない」と言われて泣いていたら先生が来てなだめてくれたが、その後のお昼休みで女の子に逆上されて2階の階段から1階まで突き落とされた。

・幼稚園のクラス内で喧嘩が起き、わたしは全く関係無かったが、その後クラス全員が並んで先生の元へ謎に謝りに行くことになり、担任の先生から「ゆーきちゃんはお友だちを止めることができる子だから。先生ゆーきちゃんはできる子だって信じてるから」と謎にわたしが怒られた。

・先生たちが常に怖かった。どの先生も好きではなかった。

・絵を描くことが好きで「将来は漫画家になりたい」と言ったら母に「無理だしダメに決まってるでしょ」と言われた。

小学生時代

・幼稚園から新体操を始めていたが、周りの子の体型がみんな細くて、母や祖母から「お前は太り過ぎだ」と言われていた。

・小学1年生の頃にお道具箱を忘れたら先生が「持ってきていない人は知りません。自分でどうにかしてください」と言われて、忘れ物をした自分は悪い人だから誰にも頼ったらだめだ。頼る権利なんてないと思い込み、今後は誰にも頼らないで自分の力で解決していかないとだめだと覚悟を決めた。

・小学2年生の頃に、顔見知り程度だった年上の女の子から何かを命令されて(内容は覚えていない)断ったら「死ね」と言われた。

・「死ね」と言われたことがショックで廊下で泣いていたら担任の先生が通りかかり、事情を話すと「へえ そんなことがあったの」と軽く流された。

・中学年の頃に1人の男の子から告白されて、わたしもその子が好きでしばらく仲が良かったが、ある日突然態度が変わり、筆箱を捨てられる・足をひっかけられる・水をかけられる・物を捨てられるなどの嫌がらせをされるようになった。

・高学年の頃に幼なじみに変な噂を捏造されて広げられ、クラスのほとんどの女の子たちから無視をされ、暴言を吐かれたり、靴を汚される隠される、机に落書きをされる、プリントを破かれるなどのいじめを受けた。

・それに便乗したクラスの男子たちからも暴言を吐かれる、押されるなどのいじめを受けた。

中学生時代

・小学生の頃から通っていた学習塾が自分に合わず、「辞めたい」と母に言ったら「何言ってんの?」と怒られ、結局受験が終わる中3までの期間(5年間)通わされた。

・女の不良の先輩に挨拶をしなかったことで絡まれて「次挨拶しなかったらボコるから」と言われた。

・見知らぬ男の先輩に「ブス」「デブ」と笑われた。

・同級生の女の子に呼び出されて「お前の生意気な態度が気に入らない。偽善者ぶってんじゃねえよ」と言われた。

・母と祖母が険悪になり、この頃から現在まで、お互いからお互いの悪口を聞かされるようになる。

高校生時代

・高校2年の頃に仲の良かった女の子から突き放されるようになって、当時仲の良かった女の子たちのグループを抜けた。

・とあるクラスメイトから疎まれた。

・音楽の先生から「コンクールに出てみない?」と言われて母に話したら「あなたが歌えるわけないでしょ」と言われた。

・結局コンクールに出ることになって、伴奏を当時習っていたピアノの先生にお願いしたら「コンクールは遊びで出るものじゃないから辞めなさい」と言われた。

大学生時代

・わたしは音大に入学するまで音楽を本格的に勉強した経験が無かったので、大学2年生頃まではずっと劣等感を抱いていた。

・同級生から「あいつなんであんなに態度デカいの?対して歌も上手くないくせに」と陰口を言われた。

・わたしが不参加だった同級生同士の会議(事前に用事があって参加できない旨は伝えていた)で、各個人で楽器(お安い金額では無く、万単位の金額)を買うことを強制的に決定され、話し合い後に各々で1ヶ月後までに楽器を購入しておくようにグループLINEで報告をされたので、

「えっ?わたしも買うの?というか、楽器代金は個人出費(しかもなかなか高額)なのに、強制的に買うことがわたし抜きの話し合いで決定したの?そもそもお金に関わる話し合いは、全員参加できる話し合いのときにするべきじゃないのかな。少なくとも今回の話し合いでそんな大切な話し合いをする予定だとは特に事前には聞いていなかったし、購入することを勝手に決められて、そういうことだからじゃあ買っておいてねと報告をされても、申し訳ないけどわたしは納得できない。”こういう案が出ているけどどう思う?”とか、相談をしてくれるならまだわかるけど、購入することが決定したからあなたも買っておいてね、はちょっと違うんじゃないかな」

言うと、

「ふざけんな。お前が話し合いに来なかっただけだろう。」

「うざい。面倒くさい」

「決まったことに対して今更文句を言うな」

「あの人アルバイトしてお金稼いでるよね?お金が無いわけじゃないのに、なんで文句を言ってるの?」

と散々暴言を吐かれてしばらく陰口を言われ続けた。

・みんなで旅行したときに、お酒に酔った同級生から「あなた今の格好トドみたいだよトド」と言われた。

・祖母から母の悪口を頻繁に聞かされるようになった。

・父が仕事から帰る時間とわたしの就寝時間が被り、お酒を飲みテレビを見る父の騒音が原因でストレスが溜まっていき、不眠気味だった。

・大学生になっても門限があり、友だちと遊んでいても「ごめんね、うち厳しくて門限あるからそろそろ帰るね」と言って抜けることが申し訳なかった。

社会人時代

・社会人1年目にコロナ禍に入り、全く仕事のやり方がわからないまま在宅勤務期間に入り、ストレスだった。

・採用試験のために先輩教員の指導を受けるが「これくらいは分かるよね?」と圧をかけられながらの指導だった。

・授業について先輩教員に意見をもらったときに「あなたの喋り方が頭悪そうに聞こえる。直した方がいい」と言われた。

・わたしが音楽室ではなく、隣部屋の準備室にいたとき(生徒からは見えない)に、生徒が先輩教員に「今日はあの太った女の音楽の先生いないの?」と聞いていたのがわたしに聞こえてしまったときに(先輩教員はわたしが隣部屋でこの会話が聞こえていることを知っている)、「うーん今日はいないかもねえ。もしかしたら隣部屋で聞いてるかもよ。なんてね」と嘲笑われ、その後「今の会話聞こえてました?生徒が失礼ですみませーん」と嘲笑われた。

・先輩教員に資料コピーを頼まれて、頼まれた通りコピーをして持っていったら「これそのままコピーする奴いる?普通は両面にするだろう ありえない」と怒鳴られた。

・生徒に「うざい」「死ね」「デブ」と暴言を吐かれた。

・父が泥酔して騒音に感じる日が多くなり、ストレスが溜まっていった。

……その後は前にブログで書いたことのある通り、中学校教諭になってから更にストレスが募り、休職して退職して現在…の流れに至ります。

いや、自分で整理しておいて何なのですが、

つらッ!!!!!!!!

ちょっと書いていて自分で辛くなるくらい、わたしは辛い思いをしてきたんだなあ…。過去に戻れるなら、過去のわたしを全力で抱きしめてあげたいです。

実際思い出せる記憶としてはこのような内容で、ふとしたときにもっと細かい記憶まで思い出してしまったりします。

ここまで詳しく心理士さんに話したことは無いのですが、いくつかエピソードを話したときに

「ゆーきさん、それは辛いよ…辛かったねえ辛かったよねえ…。よく本当にここまで生きてきたよねえ…こんなにストレスを抱えて…。辛かった。ごめんね、共感しかわたしにはできないのだけれど、もうなんて言ったらいいか…ごめんなさいね。でもよく頑張ったよ、これだけのことがあったのだから、ストレスが溜まって今疲れきっちゃっているのは、当たり前だと思うよ」

と、とても温かく寄り添っていただきました。

わたしはこの26年間、どの時代もいたって普通に生きてきただけなのに…。

真っ直ぐやるべき事を一生懸命やって、できるだけ人に頼らずに生きてきて、自分の限界を超えてしまった。

上記のようになっていることは事実だと思います。

それでも改めて自分の生い立ちというか、生きてきた環境を振り返ると…なかなか劣悪だったと思うのはわたしだけなのでしょうか。笑

こりゃあストレスも溜まるし、自尊感情低く育ちがちだし、しっかりせざるを得なく育ちますよね…。

皆さん、このように嫌な環境と戦いながら小さい頃から生きてきているのでしょうか。わたしだけでは無いのでしょうか…。ぜひ教えて欲しい。笑笑

ですが生い立ちの中で登場した意地悪な大人たちや、わたしをいじめていた人たちは最悪な人間たちだとして置いておいて、

母や祖母、父に対しても辛かった・嫌だった記憶はありますが、我が両親祖母ながら、彼らも余裕が無かったのだと思います。

大人になってから改まって母と話す機会があったのですが、「確かにあなたには強く接しすぎたかもしれない。あなたは長女で第1子だから、わたしも必死だった。その分弟にはだいぶ手を抜いて甘くしてたかもしれない」と母は言っていました。

親も人間ですし、完璧な人間などそもそも存在しないと思っていますし、わたしがいつか親になったときに、自分の子どもに同じように接してしまうこともあるかもしれません。

ただ、子どもの立場からすると親の存在って絶対なのです。特に自我が芽生え始めたばかりの幼少期は特に…。

この頃に植え付けられた嫌な思いや記憶は、きっとわたしの中で一生消えないでしょう。この頃どころか、上記したようなわたしの生い立ちの中で得てしまった辛い・嫌な記憶は、きっと死ぬまで一生消えないでしょう。

わたしは両親に祖母に…家族にキツく当たられたことを許せてはいませんが、恨んではいません。上記したように彼らも人間ですし、今回書いてはいませんが、確かに愛情もたくさん与えてもらいました。何やかんやわたしは家族が好きです。

ですがただ一言、今後望むなら「小さい頃、あなたに寄り添えなくてごめんね」という言葉をいつか聞けたら、そしてこれから寄り添ってもらうことができたのなら、わたしはもっと心が楽になるのかなあと思ったりします。

わたしはもっと、わたしに寄り添って欲しかった。そんな大人が近くにいて欲しかった。

と思います。だから、そんな大人になりたくて、そんな大人が子どもの教育の役に立てるのではないかと思って、教員になったのですけどね。

その結果見事潰されてしまったのですが。人生はそう上手くはいかないですね。

ですが、過去の記憶と同じくらい大切なことは現在と未来です。

心理士さんに「過去はこれだけ辛かったと思うけれど、ゆーきさん…今は幸せですか?今も辛い記憶を溜め込んでしまったりする?」と聞かれて、

わたしは「今は溜め込みません。わたしを支えてくれる人がいるから…彼や親友、友だちが温かく支えてくれます」と答えました。

長くて中学生の頃から付き合いがある友だち、高校生の頃の友だち…もう10年以上付き合いのある友だちがいますが、もちろん彼女たちとも時には喧嘩したり反発したり、色々ありましたが、不思議と今付き合いのある友だちとの喧嘩した記憶などは嫌だった・辛かった記憶だとは思わないのです。

それはきっと、彼女たちがわたしを人として好いてくれているから、彼女たちからのたくさん愛情を感じるからそう思わないのだと思います。

なので現在を支えてくれている周りの方々みんなに本当に感謝しています。

かといって、「今が良ければいいよね」と思えるほど過去の嫌な記憶は消えないし、そんな綺麗事に思えるほどわたしは単純な人間ではありません。

(前に人から”過去ばっかり考えていても幸せになれないよ。前向こうよ”と言われたことがあって、わたしは”前向けるもんならとっくに向いとるわい💢向けないから困っとるんじゃい💢じゃあどうやったら向けるか教えてくれよ”とイラついてしまったことがあります。笑)

だから、今現在とこれからの未来を大切に、

そして過去の辛かった・嫌だった記憶とも一緒に歩いて行けるように病気とも寄り添えて行けたらいいなと思っております。

きっと時間はかかるけれど、乗り越えた先にきっとわたしは深い人間になれると思うから。

さて、つらつらと長く文章を書いてしまいました。

ここまで書いて、少しだけ気分がスッキリしました。書いてよかったなと、思います。

それではここまでお読みいただいてありがとうございました😊

おわり‪🌱‬

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