今回は、4種類抱えているうちの3・4種類目の病気である「適応障害・うつ病」についてお話させていただきます😊
1種類目の「偏頭痛」と2種類目の「メニエール病」についての記事はこちらから⤵︎ ︎⤵︎ ︎
「偏頭痛」について🌱
「メニエール病」について🌱
今回の記事は、ながーくなる気がしているので、何個かの記事に分けてお話していきたいと思います🌸今回は「前編」です✨✨
そして、これらのお話は見る方によって内容や表現にショックを受ける方がいらっしゃるかもしれません。お読みになるときには無理をせず、「辛い」と思ったら記事を閉じてください。特に同じような経験をお持ちの方、「負の感覚」は同調しやすいと思います。くれぐれも無理をせず、でお願いします😊
心の不調を初めて感じた時期
先に申し上げますと、わたしが病名を診断されて闘病生活を送り始めたのは今から約1年前の2022年の6月になります。
そして、心の不調を初めて感じたのは2021年秋頃の記憶です。その頃といえば、現在同棲中の彼とお付き合いを始めた頃で、プライベートは幸せ絶頂期💖な反面、仕事は学校で講師を勤めていた頃で、主に仕事でストレスがかなり溜まっていた頃でした。
とは言うものの、ストレスがかなり溜まっていた頃でも彼と会ったり連絡したり電話するだけで、朝ルンルン気分で「おはようございま〜す🎶」と職場に入れていて、改めて恋愛で出るアドレナリン?セロトニン?ってすごいと感じるというか、それほど自分が単純なのかというか🙄笑
お話を元に戻しまして、明確なストレスを考えてみるならば「仕事の内容」だったと思います。
と言うのも、当時わたしが勤務していた学校自体は偏差値が高くなく、問題行動を起こす生徒もかなり多かった学校でした。ちなみに、この職場を紹介してもらった経緯としては大学時代の教授に「人がいなくて、もし良ければどう?」と依頼された現場でした。わたしも大学卒業後の仕事場が決まらず悩んでいたので、ある意味受けざるを得ない仕事でした。
問題行動に焦点を当てると、必ず理由があります。例えば親御さんが忙しかったり、事情があって片親で子育てをしている親御さんのご家庭は、生活していくためにお仕事をしている時間が長かったり夜勤だったりするケースも多くあります。そういった中で子どもと接する時間が短くなったり、夜に留守にしたりすると、思春期盛りの子どもは親の目の届かないところで活動しやすくなったりします。
決して一概に親御さんの子育てに問題がある、ということでは無くて、子どもの性格や性質も踏まえて親御さんが向き合う時間が減ってしまうと、問題行動に繋がるケースも考えられます。
また、子どもの方も問題行動を起こすこと自体に精神的な理由は存在すると思います。「周りの大人がうざい」「好きなことを好きなだけしたい」「周りと違うことをやってみたら格好良さそう」「友だちに便乗して」など。子どもなりに考えがあって、その行動に至るまでのルーツがあるのだと思います。
とは言え、知識でこのようなことを理解していても、わたしも人間なので、気持ちも追いつくかと言われれば難しい部分もあります。生徒に注意をしたり、指導をしたりして「マジうぜぇんだけど」と言われるのは正直ショックですし、その度に(わたしがへこたれててどうするの!)と自分を鼓舞して生徒と向き合っていく、というのはかなり気力と体力を使います。
時には暴言を吐かれ、時には言葉でのセクハラを受け、その度に指導を行い「ダメなことをダメ」と教えることがどれだけ大変なことか。しかもその人数が何10人も、何100人もといるのです。それでも、何やかんや生徒は可愛いと思ってしまうのです。普段反抗的な態度をとっていても、大人の手が欲しいときには「せんせぇ〜」と甘えてくる生徒たちを見て、(こんなときだけ甘えてきやがって…)と思う反面、やっぱりまだ大人からの愛情を受け取りたい時期なんだな、と愛おしく思ってしまうのです。
そのような思いを抱えていた当時でしたが、それでも何とか勤めることができていたのは、同じ現場で働かれている先生方のご指導や助言があったからこそでした。科目や学年等の所属関係無く、「調子はどう?困っていることは無い?」と都度温かく声をかけてくださりましたし、困ったことがあれば快くお話を聞いてくださったりしていた現場でした。
なので例え心が重くなることがあっても、退勤する電車の中で涙が止まらない日があっても、「助けてくれる人がいるから」という理由と「採用試験に合格できたら、この現場を離れられる」という理由でお仕事をしていました。
今なら思えることですが、これは立派な心の警告サインです。ですが当時は心が「助けて」と言っているのに、「身体が動くから大したことない」「仕事を辞めたら自活ができなくなるし、辞めるほどまで嫌では無い気がする。なんとかなっているし」と思っていました。
心の健康を損ねるまで
そしてその年に無事に教員採用試験に合格し、翌年の4月から講師を勤めている現場を離れることができました。正直、「これでやっと離れられる…」と思った反面、次の現場への不安もありました。ですが送り出してくれる先生方が「あなたなら、どこへ行っても大丈夫」と言ってくださったことを励みに、きっとやれる、頑張ろうと思っていました。講師時代の勤務校は大変でしたが、現場の先生方に恵まれていたからこそ、やり遂げることが出来たと思っています。
次の現場は、学校や地域はとても環境が良いところで、街を歩いていても「おはようございます」と近所のお爺さんが毎日挨拶をしてくれるような地域の学校でした。
さらに念願のと言いますか、メニエール病や偏頭痛と戦いながら採用試験に合格して、ようやく「教諭」になることができて、これまでの講師で勤めてきた仕事に加えてクラスが持てたり部活動の顧問になれたり、大好きな子どもと関われる時間が増えるということが何より楽しみでした。
しかし、そのような楽しみは段々と不安に変わっていくことになります。
まず、わたしは講師としてしか、学校勤務の経験がありませんでした。なので、授業以外のお仕事は全くの未経験です。それこそクラス運営、学年でのお仕事、学校行事でのお仕事、部活動等…初めてなことばかりで右も左もわからない状態でした。
そして授業でさえ、講師時代とはそもそも校種が違うため、過去に作ってきた授業案は高校生向けなので全て使えません。なので中学生向けに1から授業案を練り作成し、授業をしていかなければなりません。しかも音楽科は、基本学校に1人しか教諭がいません。なのでわたしの他に音楽科の教諭は誰もおらず、授業については誰にも相談ができない状態でした。
更に、配属された学校が自宅から約1時間半、往復で3時間かかる場所だったので、交通にも時間がかかる場所でした。その頃は実家に住んでいましたが、正直な話、講師時代は講師のお仕事で、1人で生活していくためのお給料としては稼ぐことは難しかったです。そのため貯金も殆どできておらず、実家を出て職場の近くに一人暮らしすることはすぐにはできない状態でした。しかしそのような環境の中でしたが、「採用されたからにはこなす!頑張ろう!」と当初は意気込んでおりました。
しかし、上記したように音楽科は学校にわたし1人しかいません。なので仕事を誰かに分担してもらうこともできず、ただ1人でひたすら仕事をこなします。
ですが、やってもやっても終わらない仕事の量(わたしが不慣れで仕事をこなすスピードも遅かったと思います)、相談したくとも相談できない環境、早すぎる出勤時間と遅すぎる退勤時間(起床は毎日5時、朝6時に家を出て、帰宅するのは21時過ぎで就寝は25時でした)、平日だけでは終わらないので土日も自宅で仕事、こんな日々を続けておりました。
加えて、残念ですが職場の人間関係も良くなかったです。「このお仕事初めてで、教えていただけませんか」と聞いても「それわたしも知らない」「わたしの仕事じゃない」「わたし今忙しい」と言われ、時にはある先生に「この仕事手伝ってほしいから、明日7時半には来てくれる?」とだけ言われ、(7時半出勤ってことは家5時半出…4時半起きじゃん…)と思いながら時間前に出勤して職員室で待っていると、皆さんが来ないこともありました。そしてお昼頃に「なんで今朝時間通りに来なかったの?」と言われ、「少し前に来ましたよ。皆さんいなかったですけど…」と言えば「皆さんは直接体育館に来てました。来たら普通体育館にいるって分かるでしょう。それが毎年のルールです」と言われたこともありました。(あえてもう強く言いますが、わたしは4月から配属されたばかりの初任で、毎年のルールなんて聞いていませんし、知りません)
更に、意図的かどうかはわかりませんが会議に呼ばれない、必要な事項を伝達されていないということもあり、「これやっておいて」と自分の担当では無い仕事を押し付けられる日もありました。
今、思えばこの時点で誰かにヘルプを求めれば良かったと思います。わからないことはわからない、困っていることは困っていると自分から声を上げられれば良かったと思います。
ですが、周りの先生方も忙しすぎて、日々業務に追われていて余裕が無く、ヘルプを出せるほど信頼関係を結んでいなかったことが理由でそれができませんでした。
今、明らかに教育現場は人手が不足しています。わたしの配属先のような、もう今にも潰れそうで教員1人でも休んだら痛手になるようなカツカツの現場もあります。現場はそのような実態でした。
ただその中でも、土日は彼の家に行って彼がいる状態で仕事をして、たまに息抜きに出かけて2人で過ごす時間だけがわたしの心の唯一の支えで、その時間だけが幸せで、永遠に終わってほしくない時間でした。なので、もっと彼と一緒にいたくて、むしろ彼と一緒にいる時間を増やさないと、もうわたしが持たないと思って、彼と話して「同棲しよう」とその時期に決めました。2022年の5月のことでした。
休職するまで
そんな生活を続けている中、彼と同棲する準備は少しずつ進められていました。引越し費用も何とか初任給で工面できそう、親の承諾も得た(彼の存在に母はめちゃくちゃびっくりしていました笑 けれど嬉しそうでした😂)、あとは引越し先を決めて内見をする!という段階でした。
そしてある6月の金曜日、その日を境にわたしの精神的な糸がプツッと切れ、出勤をすることが出来なくなりました。何があったかお伝えしたいのは山々なのですが、記憶にボヤがかかっていて具体的に何があったのかはもう思い出せません。
ただぼんやりと覚えているのは、何かを原因にたくさんの先生に囲まれて質問責めにされたこと、通りすがった先生が「まあまあそれくらいで、可哀想だから」と止めに入ってくれたこと、そのわたしを責め立てたうちの1人の先生に、放課後わたしから声をかけて、21時を超えるまで職員室で色々お話しました。
そして声をかけた先生は最終的に「そんな事情があったんだね。こちらも何も知らなかったから…。今度からはわたしからも声をかけるね。一緒に頑張ろうね」と言ってくださった記憶があります。その帰り、彼の家に向かいながら「ああ…わたしはもう1人で頑張らなくていいんだ…これからきっと楽になるぞ やったなあ」と思って、1人で泣きながら夜道を歩いた記憶が残っています。
そしていつも通り、仕事をしながら土日を過ごして月曜日の朝、彼の家から仕事に向かおうとしましたが、向かえませんでした。
朝起床して、ごはんを食べていたときに涙が止まらなくて、家を出発する時間になっても泣き止めませんでした。その様子を見ていた彼が「今日はお仕事お休みする?職場に連絡できる?」と言ってくれて、
「心がつらくて 今日はお休みをいただきたいです」
と職場に電話をかけました。
つづく🌱
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