わたしの病気-適応障害・うつ病-【後編】

病気

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わたしの病気-適応障害・うつ病-【前編】
今回は、4種類抱えているうちの3・4種類目の病気である「適応障害・うつ病」についてお話させていただきます😊1種類目の「偏頭痛」と2種類目の「メニエール病」についての記事はこちらから⤵︎ ︎⤵︎ ︎「偏頭痛」について‪🌱‬...

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わたしの病気-適応障害・うつ病-【中編】
前編はこちらから⤵︎ ︎職場に電話をかける前、彼に「ちゃんと心がつらくてお休みしますって言うんだよ」と言われました。わたしは、「心がつらくてって、言わなくちゃだめ…?身体がしんどくてとか、風邪でって言って休んじゃだめ?」と...

教員を退職してから

前職だった教員を、適応障害を理由に病気退職してから、しばらくの間は身体と心を休めるために好きなことをして「休んで」いました🐑

例えば、好きな時間に寝て好きな時間に起きてみたり。教員を勤めていた頃は、夜は25時就寝・朝は5時起床の日々が続いており、毎日寝不足の身体を気合いで乗り切っていました。

なので、時間に気にせずのんびり過ごして、お昼寝をしたかったらお昼寝をして自由に時間を使っていました。教員を休職・退職して間もない頃は、起きていると感情失禁して何時間も泣いていたので、眠っている時間が1番穏やかに辛い思いをすること無く過ごせていました。

また、食事も教員時代は昼食指導の時間があり、教員も見回りをしなければいけなかったり、そもそも昼休みが20分程度しか無かったりして職場では満足に昼食の時間は取れませんでした。夜帰宅してからも、仕事でくたくたで夜ごはんを作る気力も無く(実家暮らしでしたが家族皆生活リズムが違うため、ご飯は各自用意でした)、食べないか出前で済ませたりしていました😞

そこで、実は元々料理をすることが好きで食べることも好きだったので、休職・退職してからは作ってみたかった料理を作り、食べたいものを食べて過ごすようになりました。

そして生活ですが、休職した辺りから彼の家に長期で泊まりに行っていましたが、元々同棲の話がでていたことと、何よりわたしが「彼といたほうが心が楽」と思い、そのまま彼が住んでいた家で同棲することになりました🏠

こうして過ごしている間に、心療内科に通院しながら「休むこと」をしていく中で、少しずつ体力や気力が回復していき、1人で出かけることができるようになったり、友だちと会えるようになったり、彼と旅行に行けるようになっていきました。

アルバイトを始める頃

しかし教員を退職してから約1ヶ月後の10月頃、体力・気力が少しずつ回復していく中で、わたしは金銭問題に直面することになります。

講師時代は1人で生活していける分のお給料はもらっておらず、大学時代の奨学金や行政に支払う(講師は福利厚生が無いため、年金等はお給料から天引きという形では無いのです)分で精一杯でした。

また、教諭になってから彼と同棲する用に少しずつ貯めていた貯金と、休職期間の傷病手当金も大きな額とは言えず、彼と同棲していく中で、食費や家賃等で毎日毎月出費はするので、お金は減っていくばかり。

しかも勤務期間は約6ヶ月で1年に満たないままわたしは退職したので、失業手当金をもらう対象にも当てはまらず。

その上で彼と生活していく分のお金を差し引いても、毎月奨学金等の固定費はかかる。

これは…非常にまずい。

そう思って、わたしはせめてアルバイトをしようと探し始めたのです。

当時のわたしの病状はだいぶ落ち着いてきていて、日常生活はほとんど問題なく過ごせるようになっていました。心療内科の方も元々薬物治療をしていなかったし、そもそも適応障害という病気は、ストレス源から離れると快調に向かう病気だと言われていたので「もう病院は行かなくても大丈夫だろう」と自己判断して、通院もしていませんでした。

また、「目の前で彼は働いているのに、自分は仕事もせずに好きなことを好きなだけしている罪悪感」と、このままだと奨学金や行政に払うお金も無くなってしまう、彼との生活費も滞ったら彼に一方的に負担をかけてしまうと思い、せめてシフト制のアルバイトだったら負担も少なく、生活費や固定費の足しにはできるだろうと考えました。

そして、1件のカフェのホールスタッフのアルバイトを見つけて応募し、11月頃からカフェ店員としてのアルバイト生活が始まったのでした。

アルバイト生活をしている中で

わたしが見つけたアルバイト先は、とても環境が良いところでした。スタッフ全員女性で優しい方が多く、全員仲が良いところでした。仕事も丁寧に教えてもらうことができ、わからないことはきちんと教えてもらい、お店が落ち着いているときには雑談をして笑い、何より大好きなコーヒーや可愛い空間に囲まれて働くことは、教員よりも遥かに楽しかったです💐

またわたしの話好きな性格や仕事に積極的に取り組む姿勢を見て、「お客さんとあんなに楽しそうに話せる姿勢すごいよね。カフェで働くこと、ゆーきちゃんにとって天職なんじゃない?」と褒めてもらえたりしました。

わたしは元々昔から自分に厳しいストイックな性格で、気がつけば自分を追い込んでしまっていました。そして真面目な性格故に、「この人は仕事ができそう、自分をしっかり持っていそう」等と初見で判断されて、「自分でなんとかできるでしょう」とまともに指導されなかったりキツい当たりをされることは日常茶飯事でした。

それでも本当に仕事ができれば良いのですが、実は不器用で仕事を覚えるのに時間がかかったり、技術を習得するまでに人より努力することがわたしには必要です。

なので本当は人より不器用な分、時間をかけて努力して、なんとか人並みレベルまで到達できるようにカバーをしているのですが、他人はその結果だけ見て「やっぱりあなたは仕事ができるんだ。これも頼むね」と仕事を頼まれることも多く経験してきました。

しかも、「教えてください」「限界です」と人に助けを求めることが本当に苦手で、周りから気付かれずにいつしか自分が潰れていってしまうのです。

なので「実は努力家だよね」「教えてないのに○○できるのすごいね」と褒めてもらえると、わたしのことをしっかり見てくれているんだ、努力していることを気づいてくれているんだと思い、自分自身を認めてもらえているような気がしていました。

しかし、そんなアルバイト生活を続けている中、その日は急にやってきます。

その日はわたし自身、心身共に体調が悪い日の出勤でした。そのせいか、いつもしないようなミスを連発し、自分も落ち込んでいる中でお店のスタッフさんからも注意をされていました。決してスタッフさんはとりわけ厳しく注意をしたわけでは無いと思うのですが、当時のわたしにとってはその注意のされ方がとても辛く感じ、それを原因にわたしはみるみる体調を崩し、再び心療内科に通院することになります。

再び心療内科への通院

再び心療内科へ通院後、主治医から下された診断は「ちょっと頑張りすぎちゃったかな。今はまだ傷が完治していない状態で、無理をするとまた傷が開いてきてしまうみたいな感じだからね。ちょっとまたお仕事は少しお休みしましょう。そして、もし感情失禁が発作みたいに出るなら、抗不安薬を飲めば楽になるかもしれないね」という内容でした。

その診断を聞いて「これって適応障害の範囲なんですか…。もう学校からは退職しているのに、なんでまだこんな感じになってしまうのでしょうか…。適応障害って、ストレス源から離れると症状が落ち着くんですよね。これって他の病気の可能性もありますか?」と聞きました。

主治医からは「他の病気の可能性もゼロとは言えませんが…。変な話、学校で働いていた頃の症状から何か別の新しい症状が出てからじゃないと、他の病気だって判断にはならないのです。なので、今は適応障害の範囲内かな」と言われました。

その診断を受けて、わたしはカフェに連絡をして休職する旨を伝え、抗不安薬を処方してもらい服薬するようになりました。

再びの休職

カフェを休職したのが今年の1月、そして現在6月までわたしはずっと休み続けています。

職場に事情を話し、長期的に休みがほしいことを伝えると「ゆーきちゃんの健康が1番だから。気にせずゆっくり休んでください。戻りたいなと思ったときに戻ってくれればいいからね😊もし体調が落ち着いたらお店に遊びに来てね。何かあったら、大した用事じゃなくてもいいから、いつでも連絡してね」ととても優しく温かい返事をもらえました。

その反面、そんな温かい返事をもらえているのに、何故わたしは職場へ戻れないの。何で働けないの、何で涙が出るの、と自分がつくづく嫌になりました。

そしてカフェを休職したことで再びストレスフリーな生活を送れているにも関わらず、わたしは度々不安発作を起こすようになりました。

早く前みたいに戻りたい、回復したい。

せめて何でこんなに涙が出るのか、なんでこんなに抑うつが酷いのか、身体が動かないのか原因が知りたい。

回復しないとお金を稼げない。

働かないと、自立しないと。

誰かに迷惑がかかっちゃう。

彼に迷惑をかけてしまう。

彼に辛い思いをさせたくない。

でもわたしも辛い。

楽になりたい。

働かなきゃいけないけど、働きたくない。

もう辛い思いをしたくない。

もういっそ消えたい。消えて楽になりたい。

でも消えたら色んな人が悲しむ。それは嫌。

でも消えたら楽になる?じゃあやっぱり消えたい。

わたしが感情失禁になって泣いている間、こんな感情で頭がいっぱいになります。そしてこれを言葉に出しながら何時間も泣きます。

こんな状態のわたしに対して、いつも彼はずっと横にいてわたしの頭を撫でてくれながら「ゆーきちゃんが消えちゃうのは嫌だ。辛いよなあ。頼っていいんだよ。迷惑じゃないからね、今はお休みしようね。お金も今は考えなくていいよ。出世払いにしといてあげるからね。ゆーきちゃんが元気になるのが先だからね」と言ってくれます。

また、実家の母に話したら「元々必要なときに渡そうと思ってたんだけど、今がそのときだと思って。奨学金に使いなさいって言いながら渡すけど、どう使うかは彼くんとよく相談して使いなさい」と、生活を援助するための、まとまった資金をくれました。

でも彼や母、周囲の人にこんなにも助けてもらえているのに、日をまたぐとまた不安発作がやってくる。こんな日々が続くことが皆に申し訳なくて、心療内科でこの事を話したら「カウンセリング治療をしてみたらどうか」と勧められました。

現在の病状

そしてカウンセリングルームを探し、カウンセラーさんに手伝ってもらって自分の心と向き合っていく治療が始まりました。

そのカウンセリングの中で判明したのがわたしは「過剰適応」だということです。

過剰適応とは、無理をして周囲に合わせてしまうことだそうで、例えば自分の感情を押し殺して相手の意見に合わせたり、過度に空気を読んで他者を優先したり、自分にかかる負担を顧みずに業務を大量に引き受けてしまったりすることです。

それをできないと、周囲に合わせられない自分は駄目だ、と判断してしまうのです。

そして最近は更に抑うつが酷く、家事をすることや外出することも難しく、ベッドから起き上がれない日々が続いていました。また、入浴が難しい日もあったり、お昼寝を含めると1日16時間くらい寝てしまう過眠症の症状も出ています。

これらを主治医に伝えると、「過剰適応による適応障害・うつ病。適応障害だけかというとうつ病の部分に当てはまる部分もあるし、うつ病と上げると適応障害寄り」と診断されました。

現在の治療

そして現在は、相変わらずお仕事を長期的に休みながら、カウンセリング治療をメインに行っています。

カウンセリング治療では「認知行動療法」をしたり、辛いと思う原因を明らかにして対処法を一緒に考えてもらったり、たくさん褒めてもらったりしています。カウンセリングに行く度に「ゆーきさんは頑張っているから、頼っていいんですよ」と言ってもらい、褒めてもらえます。

また薬物治療では抗うつ薬を処方してもらって、つい昨日から薬物治療が始まりました。眠気や吐き気といった副作用に注意しながら、服薬していきます。

こうやってわたしの病気、という題名でブログを書いていますが、書いている現在今も適応障害・うつ病は完治しておらず、わたしは治療しながら生活をしています。

なので、このお話は決して完結などしておらず、まだまだ闘病生活は続いていくことかと思いますが、少しずつ病気と向き合い、そして自分にもう少し優しくなれるように、人を優先しすぎず自分のために生きることができるように思うことを目標に生きていこうと思います。

それでは、前編・中編・後編と長きに渡り記事を読んでいただいてありがとうございました✨️

また、状況が変わったり変化があったときに記事にしようと思います🌷

おわり‪🌱‬

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